日本のコンテンツと神話
日本のアニメやゲームには、海外の神話や宗教をモチーフにした作品が数多く存在します。直近の例では、あるガンダム作品に登場した「イオマグヌッソ」という存在がクトゥルフ神話を思わせる設定で登場しました。筆者自身もゲームやアニメを通して世界各地の神話や宗教に触れ、断片的に知識を得てきました。
小学生の頃、ファミコンが全盛期でした(年齢が推測されそうですが…)。当時の「ファイナルファンタジー」シリーズを通じて、アーサー王伝説に登場する剣「エクスカリバー」を知ったのをよく覚えています。こうして多くの人がゲームをきっかけに歴史や神話に興味を持つようになったのではないでしょうか。
しかし、作品中で描かれる神話のモチーフは必ずしも元の伝承と一致しているわけではありません。最も有名な例は「バハムート」でしょう。本来はイスラムの伝承や聖書に登場する存在が元ネタであり、「ベヒモス」と呼ばれる陸の獣と関連づけられることもあります。ところがゲームでは「強大な竜」として描かれることが多く、元の文脈とは大きく異なります。
同様に「女神転生」シリーズでは、ギリシャ神話のゼウスや北欧神話のロキ、さらにはキリスト教や仏教に登場する存在まで、神々や悪魔を“仲魔”として登場させています。もちろんこれは信仰そのものを再現しているのではなく、「世界観を構築するための題材」として活用しているのです。

また、日本の漫画『聖☆おにいさん』はイエス・キリストとブッダが立川でルームシェアをするというユーモラスな設定で描かれています。宗教的題材を扱いながらも、国内外で好意的に受け止められており、文化や宗教観の違いが柔軟さに結びついていることを示しています。歴史的に宗教戦争が繰り返されてきた海外とは異なり、日本には「許す文化」が根付いていると筆者は感じます。
他にも、『ゴッド・オブ・ウォー』シリーズは北欧神話を大胆にアレンジし、『ペルソナ』シリーズは神話や心理学用語をモチーフとして若者向けの物語に落とし込んでいます。これらは元の宗教や神話と完全に一致してはいませんが、作品を通じて多くの人が古代の物語に興味を持つきっかけとなっています。
ここで重要なのは「ゲームやアニメで描かれる神話」と「実際の宗教・神話」との違いです。作品に登場する神々や存在は、あくまで“創作のインスパイア元”であり、信仰そのものを再現しているわけではありません。言葉やモチーフだけを借用することも多く、そこには制作側の独自解釈が加わります。
この違いを理解しないと、元の神話や宗教とは異なる描写が「デマ」や「誤解」として扱われる危険もあります。クトゥルフ神話は、ラヴクラフトが小説として創作したものが後に友人のダーレスらによって体系化され、さらに現代ではTRPGやゲームを通じて広がった好例です。日本の「東方プロジェクト」が二次創作を認め、多様な解釈を生んだのも同じ流れといえるでしょう。
歴史を振り返れば、解釈の違いはしばしば「異端」とされ、弾圧の対象となった時代もありました。現代でも「解釈違い」を理由に言論を封じる人が存在します。しかし、筆者はむしろ解釈違いこそ多様性の出発点であると考えています。
日本のコンテンツが神話や宗教を柔軟に取り入れて発展してきたのは、多様な解釈を認め合う文化があったからこそでしょう。読者の皆さんも、作品を楽しむ際には「これは元の信仰の再現ではなく、創作上の解釈なのだ」と意識してみてください。その上で世界の神話や宗教を学べば、作品への理解もより深まるはずです。
