AIとクリエイターの今後について
過日、有名なイラストレーターがSNS上で、AIによって生成されたアニメーションを引用リポストしつつ注意喚起をしていました。筆者はクリエイターというよりエンジニア寄りの立場ですが、デザインセンスが皆無なため、クリエイターの方々に対しては尊敬しかありません。
そのイラストレーターは、AI生成のアニメーションに対し「声優もアニメーターも不要です、だってさ」と皮肉を込めてコメントしていました。多くの人々がこの発言に反応し、賛否両論のコメントが相次ぎました。
筆者は「道具は使う人次第」だと考えています。AIツールも同様で、上手に活用すれば大きな助けとなります。筆者自身もAIツールを利用することがありますし、ここを読む方々の多くは「AIを作る側」に属しているかもしれません。
そのため釈迦に説法ではありますが、AIツールについて整理します。AIは基本的に「機械学習」によって大量のデータからパターンを学習し、予測や回答を行います。したがって、学習に使われるデータの質と量が極めて重要です。
例えば、過去にある企業から「AIで売上予測をしたい」という相談を受けました。しかし確認すると、売上データはわずか2年分しかなく、顧客層の情報もほとんど残っていませんでした。このような状況では、むしろ人間が予測した方が精度が高いのは明らかです。

ちなみに、ここに掲載した画像は「写真を水墨画風に」とAIに指示して生成したものです。この程度の用途であればわかりやすく便利です。
話を戻すと、AIによるアニメーション生成が普及すると「声優やアニメーターは不要になるのでは」という懸念が生じます。しかし現状のAIは既存データをもとに学習する仕組みであり、まったく新しい表現や独創的な声を創出するのはまだ難しいと考えています。新しい試みを人間が行わなければ、既視感のあるコンテンツばかりが大量生産される危険性があるのです。
SNSを眺めると、AIを使った副業や自動収益化を謳う広告も頻繁に目にします。おそらく筆者自身がAIに強い関心を持っているため、エコーチェンバー効果で余計に目に入ってくるのだと思います。
一方で大きな懸念もあります。それは、AIが自分の知識を超える回答を出したとき、その内容が正しいのか間違っているのかをどう判断するのか、という点です。ユーザーが検証しなければ、誤情報がそのまま受け入れられてしまう危険があります。
筆者は趣味で「蟻」の飼育をしています。例えばChatGPTは英語圏で開発されたため英語情報が中心ですが、日本語で質問すると誤った情報が返ることもあります。特に和名で質問すると、異なる種の蟻の情報を混同して提示することが多いのです。回避策として「和名と学名を併記して質問する」と精度が向上します。
つまり、AIはあくまで「機械学習の結果として最適と判断された回答」を出しているにすぎないことを理解して利用する必要があります。
冒頭の話に戻りますが、「機械学習の元データは誰のものか」という問題は今後も重要な論点となるでしょう。AI開発者は「自分たちが作ったデータ」と主張するかもしれませんが、学習に使われたイラストや声のデータは他者の著作物である場合も多く、法的整理が不可欠です。
イラストについては著作権法で保護できますが、「声」に関しては現状適用できる法律がありません。この空白は将来の大きな課題となるでしょう。したがって今後は、技術研究の推進と同時に、法律や倫理の観点からの議論も欠かせません。分科会や学会などでの検討が重要になっていくはずです。
